メヌエットとルイ14世。
ピアノを習い始めて数年たつと「メヌエット」という曲名に何度か出会うことになります。
大抵の生徒さんは、バッハ作曲「メヌエットト長調」の事だと思い「それ、知ってる〜!前、弾いたよ〜!」と嬉しそうに言います。
その度に先生は「メヌエットは踊りの種類の事を言っていて メヌエットという曲は沢山あるのよ〜。沢山の作曲家が作曲しているの。」と 説明はしますが、中々、伝わりにくいようです。
そこで、素人ながら軽〜くメヌエットのステップでも 踊ってみようと調べた所、凄い歴史が出てくるではありませんか! Σ(゚д゚lll)
以下は浜中康子先生の著書とインターネット検索により自分なりにまとめたものです。
栄華のバロック・ダンス―舞踏譜に舞曲のルーツを求めて | ||||
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ルイ14世とバロックダンス
メヌエットはバロック時代に踊られていたので、バロックダンス、古典舞踏などと呼ばれてます。
メヌエットがどの様なダンスなのか調べると、避けては通れない人物がいます。
それがフランス国王ルイ14世です。
ルイ14世はフランスにベルサイユ宮殿を作りました。
「鏡の間」が有名です。
ルイ14世はダンスが得意でどんな貴族より上手でした。
「夜のバレエ」で太陽の神アポロンを演じたことから、ルイ14世は太陽王と呼ばれるようになります。
その「夜のバレエ」で踊り手として、ルイ14世と一緒に出演していたのが ジャン・バディスト・リュリです。
ダンス教師は演奏家と作曲家でもあった。
この当時のダンサーは踊りだけでなく、楽器の演奏と作曲家も兼ねていました。
リュリもその一人で、ルイ14世に「夜のバレエ」共演以降気に入られ、宮廷音楽家として最高位に上り詰めていくのです。
王立アカデミーが作られる。
ダンス好きのルイ14世は、ダンサー達を庇護し王立ダンスアカデミーと王立音楽アカデミーを設立します。
クラシックバレエの原型ができる。
ルイ14世に信頼されていたダンス教師ピエール・ボーシャンは、現在のクラシックバレエ基本でもある「5つのポジション」を定め、舞踏譜を最初に研究したのでした。
その後、ダンス教師ラウール=オージェ・フイエは、ボーシャンの舞踏譜を改良し「コレオグラフィ」を出版しました。
この「コレオグラフィ」は二人の名前を取り「ボーシャン・フィエシステム」と言われるようになりました。
ルイ15世時代には、ダンス教師ピエール・ラモー出版による「ダンス教師」には、ステップ、お辞儀、礼儀などが書かれており、舞踏会の様子がわかるようになりました。
ルイ14世のおかげ。
そんなわけで、ルイ14世のおかげでベルサイユ宮殿は豪華絢爛になり、バロックダンス、バロック音楽も盛んになっていったのです。
そしてメヌエットなどのバロックダンスのステップも、舞踏譜のおかげで現代の私たちも踊れるようになったのです。
メヌエットの歴史は奥深ーい!!
まだまだつづく・・・